とまれかうまれ、とく破りてむ!

行き場を失った物語の墓場

『洛中百鬼夜行劇』第3章「怪物レコンキスタ」

鳥羽(トリハ)という名で知られた男子大学生は洛中きっての麻雀打ちであった。少しでも時間があったら麻雀を打とうとするきらいがあり当然大学にはろくに行かず周りには基本的に麻雀仲間しかいなくなったのも仕方のないことであった。

鳥羽は大学には行かないものの、その辺の反社会大学生と大きく違って日付の変わる前から眠りにつき朝早くから起きている。今日も6時半に起き、8時頃には朝の散歩という超健康的習慣を実践していた。しかし彼にとってこの散歩には朝日を浴び体を動かす以上の意味があった。

「うんうん、今日もかわいいなぁ!」

思わず声を出してしまうほど彼が愛おしいと思って物陰から凝視しているのは京都では珍しい登校中の小学生である。珍しいのになぜ彼が遭遇しているのかといえば、彼が小学校の通学路を調べ、わざわざ出向いているからである。見つかれば間違いなく不審者出没情報として一帯の保護者一同に警告のプリントが配られ警察も周辺警備を強化すること請け合いであるが、鳥羽はすでに前科一犯、知り合いから隠密機動術を教わり見つからないように可及的細心の注意を払っていた。可及的と言ったのは、真に細心の注意を払っていれば「今日もかわいいなぁ!」などと口走らないだろうという指摘への配慮である。

朝の日課を終えると鳥羽は自宅へ戻らずそのままバスで移動する。目的地は百万遍交差点にある雀荘【あうあう】。ここは鳥羽の行きつけの雀荘であり、メンバー(雀荘における店員のこと)のほとんどは若い女性で彼女たちも常連の鳥羽のことを気に入っていた。それもそのはず、平日の朝に開店時間すぐに来る客は鳥羽くらいのものでそういう時にはメンバー3人と鳥羽で打つので一緒にいる時間がかなり長いのだ。今日もその例に漏れず麻雀を打ちながら鳥羽はメンバーと話していた。

「鳥羽くんさ~、大学はいいの?」

そう尋ねるのは【あうあう】の女性店長である。自分とさして変わらない若さにして雀荘という難しい店を経営する実行力と手腕はどこで鍛えたものだろうかと鳥羽は常々疑問に思っていた。

「いいんだよ。っと、ロン。5200」

今日は水曜日、彼の時間割にはしっかり講義が入っているはずだが彼は潔くそれらを放棄していた。

「わぁ、やられた。ラスト、清算おねがいしまーす」

今日最初の半荘は鳥羽のトップだった。そしてちょうど一区切りついたところで鳥羽の携帯が鳴った。

「あ・・・ごめん、ちょっと抜けていい?」

「いいよいいよ、鳥羽くんしかお客さんいないんだし」

「すみません」

そう言って鳥羽は電話に出る。知っている相手―――名前のある怪物からだった。

「もしもし、こんな朝早くどうしたんだ、怪物」

「おう、やっぱ朝早いのな。それが少し困っていてな...。昨日も例の場所で飲み散らしてたんだが、バターナイフが二日酔いの状態で街に放たれちまった」

「ウソでしょ?」

「俺も信じたくねーけど本当だ。今も暴れて道行く人間をハッ倒して回ってる」

通話相手の方から悲鳴とサイレンのような音を聞いた鳥羽はどうやらバイオハザード発生は事実らしいということを飲み込んだ。

「...警察は?」

「アレが警察で止まるかよ、銃弾もあの腹で受け止めてる」

「ひどいな。で、今どこに...」

そこまで言ったところで鳥羽は事態を理解した。パトカーや救急車のサイレンがけたたましく鳴り響く音が携帯の向こう側からだけでなく直接聞こえ始めていた。

「マジか...。ごめん店長、今日はもう帰る!」

「えっ、どうしたんですか?って外が騒がしいような...なんだなんだー?」

「とにかく失礼します、また明日来るから!」

「う、うん。待ってるよ、外なんだか大変そうだから気をつけてね」

「ありがとう」

【あうあう】を出て百万遍交差点に来るとそこは地獄であった。十字路の北からは消防車、東からはパトカー、西からは救急車、そして南からは京都の街が手塩にかけて育てた怪人【バターナイフ】が疾風怒濤の快進撃を為していた。迷惑がる学生、逃げ惑う一般人、面白がる野次馬、騒ぎに乗じて交差点の中央で『お願い!シンデレラ』を熱唱するさすらいの音楽家、それら全てが入り乱れ交差点周辺は大混乱の機能停止と相成っていた。

唯一我が道を思いのままに進んでいたのはバターナイフその人(?)である。「かかってこい人間どもォ!!」というようなことを叫んだり吐いだり忙しそうだが足取りはしっかりとしており一歩ごとにコンクリートの舗装路に足跡を残していた。その重戦車のような人型の怪物に対し哀れな人類は為すすべなく後退を強いられていた。鳥羽は電話で居場所を聞いて名前のある怪物と合流した。怪物も怪物で上着が酒だか何だかでビショビショだったがそれには触れないことにした。

「それで、アレをどうやって止めるっていうんだよ!鴨川の水、麻雀の賽の目、バターナイフの二日酔いって言うだろ?どうしようもねぇ」

鳥羽は至極真っ当な意見を述べた。

「まぁそうだが一つ試してほしいことがある」

そういって名前のある怪物は説明し始めた。

「最近アレが特に推してる演者がいる。その音源を流せば我に返るんじゃないか?お前はその音源持ってるからお願いしたい」

「なるほど、猶予もなさそうだし試してみるか」

鳥羽は怪物の提案を理解し音源を準備した。さっそく警官隊をバッタバッタとなぎ倒すバターナイフの方に向かう。依然としてあの重戦車は止まる気配を微塵も見せていない。

「おいバターナイフ!こっちだ!」

鳥羽が大音声を上げると警官隊たちが「危ないから下がりなさい!」と制止するが危ないのはお前たちも一緒だろうと鳥羽は聞き入れない。しばしば押し問答をしていると鳥羽の側から一人の男がヌッといきなり姿を現した。

「よっす鳥羽。話は聞いた。これ、拡声器パクってきたから、使えば?」

言葉の主は黒服【クロフク】という男だった。鳥羽や名前のある怪物の旧友で同期にして隠密機動の使い手である。名前に違わず全身を黒服に包み危険な雰囲気を放っているが普段は存在感を消しているので怪しまれるというようなことはない。

「お前、どうしてここに」

鳥羽は突然現れた黒服に驚いた。

「まぁ、なんとなく。それじゃ」

そう言い残すと黒服はスタスタと西方へ帰っていった。鳥羽は「何なんだアイツは」と悪態をつきながら自分のスマホを黒服が遺していった拡声器へと繋ぎ、件の音源を再生した。

「聞こえるか、バターナイフ!!」

鳥羽にはもはや祈ることしかできなかったが、曲が始まると確かにバターナイフの進撃が減速した。Aメロ、Bメロと展開していく曲にバターナイフは耳を傾けているようだった。そして、訪れた約束のサビ前。

「イェッッタイガーッ!!!!」

怪人の割れんばかりの咆哮は洛中全土に響いたかのように思われた。その圧倒的声量に周囲の人間は全員気絶しており、このことを予見し耳栓をしていた鳥羽と名前のある怪物だけが意識を保っていた。

「...ここぁ百万遍か、バケモン」

ワンコーラスが終わる頃にはバターナイフは正気を取り戻していた。彼は近くに来ていた名前のない怪物に話しかける。

「バケモンはあんたッスよ、バターナイフさん。どんだけ暴れ散らしたと思ってるんスか...。ま、早いとこ逃げましょ」

名前のある怪物はどこから用意したのか小型バイクを転がしていた。

「そうだな...。んで、お前が曲かけて収拾つけたんか、鳥羽」

「はい、まぁ」

鳥羽はバツが悪そうに眼を逸らして答える。

「助かったわ、やっぱお前もウチに来いや」

バターナイフも自分の引き起こしたことを確認し、それを制止した鳥羽の活躍に感謝していたようだった。

「それだけは勘弁です。前にも言った通り俺にはもったいない。それに俺はまだ人間界に未練があるんで」

「またくいな橋でマズい飯食ってから考えるか?」

京都拘置所は京都駅からまた少し南に進んだくいな橋のあたりにある。鳥羽は以前そこに立ち入ったことがあった。バターナイフともそこで初めて会って気に入られ、鳥羽としては迷惑に思っていた。今回の騒動を見れば分かるように怪人と関わり合いになるのは何かと危険だからだ。しかしバターナイフは京都中に顔が効くし強力なコネクションであることも事実で、さらには名前のある怪物という共通の接点もあったので鳥羽もときたまバターナイフと顔を合わせていた。

「あそこにはもう行きませんよ...。それと、とにかく【バターナイフ】には入りませんから」

「この俺がしつこく勧誘することなんてないんだがなァ、おもんな。まぁええわ、帰っぞバケモン」

「だからバケモンはあなたの方ですって」

鳥羽の頑なな姿勢にバターナイフは折れたようで、名前のある怪物とともにバイクで去っていった。鳥羽は「あの巨体が乗ってもパンクしないんだなぁ」とタイヤの強固さに感心しながらその後ろ姿を見送っていた。視界から消える前にバイクは転倒して名前のある怪物が「イッデェ!!」と叫ぶ声とバターナイフの痛くも痒くも思っていなさそうな高笑いが聞こえてきた。

 

京都に住む者は大きく二つに分けられる。人間か、人間じゃないか。人間じゃない者にもいろいろいるが大方は人間から白い目で見られるような者ばかりで、人間じゃない者の方も人間をとっちめてやろうという思想の者が多い。今回のような騒動で浮き彫りになる両者の争いは小さなものを含めると毎日のように起こっており、京都の領地を綱引きのように自分のものだとグイグイ引っ張り奪い合っている。現在こそ形式上人間の領地がほとんどであるがかつて京都は妖怪すなわち人間じゃない者が跋扈しており、現在においてもその当時のような百鬼夜行を再現しようという一派が存在し祇園迷宮の最深部は彼ら怪物の巣窟となっている。バターナイフが百万遍まで進撃したのも怪物たちのレコンキスタの一つであり、もっと大規模な戦争が起こればいつの日か人間が彼らに領地を明け渡す日が......来ないことを祈ろう。

第2章「泥になった男」

京都市内に存在するほとんどの交差点の名前は【三条河原町】のようにそれを為す縦横の通りの名前に由来する。しかし中には、ただでさえ日本語が通じないがためにごった返している迷惑観光客たちをさらに混乱させようと規則に従わない名を冠した捻くれ交差点たちが存在する。

 

捻くれた生徒を輩出することに滅法秀でている京都大学はそのメインキャンパスを【百万遍】というみょうちくりんな名前の交差点付近に構える。交差点の名前が捻くれていればそこを往来する人間も捻くれるのも当然の理というわけだが、とりわけ夜になると月の狂気とアルコールの副作用で日本語が通じなくなっている捻くれ京大生がゴロゴロ転がっており危険である。触らぬ神に祟りなし、百万遍近寄るべからずである。

 

ろくなやつがいない百万遍だが、そこから少し南へ進んだところに苗田(ナエタ)という男が住んでいる。もう名前からとことん萎えているのだが彼はかの名前のない怪物にも引けを取らない壮絶な人生を送ってきたことでそこそこ知られている。もはやこの世に大した未練もなさそうに今日も今日とてアニメのかわいらしい女の子が描かれたバッグを肩に下げ、百万遍と自宅の中間地点に位置する学生食堂【ルネ】で一人イヤホンをつけアニメを見ながら昼食を取っていた。そこから発される負のオーラは並大抵のものではなく、混雑期であろうとも彼の周囲10席ほどには人払いの結界が張られていた。

 

「お、苗田~」

そう声を掛けたのは苗田と同じ学部学科の同級生であり、室内にも関わらず帽子を被る奇抜なファッションをしている外面(ソトヅラ)という男だ。しかし外面が数度呼びかけても苗田はアニメに夢中で気が付かない。いよいよ呆れた外面がその肩をポンと叩くと苗田は痴漢にでもあったかのようにビクっと可愛くもない反応を見せたかと思えば黒服の顔を見るや否や「なんだお前か」と呟きそのままイヤホンをつけなおした。こんな態度を取られては流石の外面も「なんだこいつは」と思ったらしく、それを口にすることはなかったがTwitterに事のあらましを文才豊かに投稿した。

さて、この二人は京都大学工学部物理工学科在籍の2回生であるが物理工学部の割に物理学基礎論Aの単位を1年半経っても取っていない体たらくであり学科の恥さらしである。そもそも苗田に至っては入学2ヵ月も経たないころに講義中に何を思ったか服を脱ぎだしさらには18禁ゲームの18禁要素のシーンをスピーカーで垂れ流しながら授業を受けるという前代未聞の奇行に走り案の定通報され教務課から厳重注意を受けたので学科はおろか大学の恥さらしなのだが、当の本人は京都の瘴気に中てられて思考の余地が狭められているせいもありそんなこと粉微塵も気にかけておらず毎日のように大学食堂を威風堂々と闊歩していた。そんなことだから当然学科内にろくなコネクションがない苗田に対して、外面は類稀な八方美人式コミュニケーション術を以てして多方面とつながりを持っており、上手いこと交友関係を保つ傍ら情報収集も怠らずそれを苗田や他の身寄りのない学科の友人に渡してあげたりもしていた。このように極めて良い性格をしている彼だがそれだけには留まらず天は彼に【ツイートセンス】というさらなる才能を与えた。これは文才の一種であるがTwitterに依存しがちな大学生にとっては極めて有用なものであり【いいね】という平成の承認欲求を効率的に満たせられる。そして彼もまた京都の瘴気に中てられて心の余裕が狭められようとしているときにはこの才能を駆使し心の平静と安寧を取り戻すのだ。

 

「よう」

外面が着席して10分は経ったかという頃、ようやくアニメを見終わったらしい苗田がイヤホンを外して突然話しかけてきて外面は面食らった。

「いきなり話しかけてくるなよ、びっくりするでしょ」

「お前もいきなり肩叩いてきただろ」

外面はそれとこれとは少し違うだろうと思ったが自分の不服と苗田に納得してもらえるような説明をする労力とを比較した結果、がんばって反論する必要はないという結論を導き出した。外国語の単位もろくに揃えられない上に日本語までもが通じなくなりつつある苗田に対してむやみに会話を試みるのは得策ではないということを彼は経験から理解していた。

「...それで、今期のテストはどんな感じ?」

「お前から資料をもらったやつは何とかなる。もらえてないやつは、何も情報がないから、無理」

「そっかぁ」

大学生にとって同学科の友人というのは想像よりも重要なもので、特にろくに大学に出向かない反社会的生徒にとっては友人の助けのあるなしはそのまま単位の有無に直結する。この苗田は怪物同様社会に向いていない生き物である上に学科の友達も目玉の数くらいしかいないため、当然ろくな単位も取れない状況が続いておりいよいよ留年が避けられないものになりつつあった。本人の弁は「プラス1年は仕方がない」とのことだが周囲の人間は彼がプラス1年で卒業できるとは全く思っていない。

「テストもだけど、今から引くガチャも多分やばいなぁ」

「え、今から引くの?楽しみだなぁ」

苗田はここのところソーシャルゲームにも入れ込んでいた。そして本日、とあるイベントのガチャが始まるとのこと。目星となるキャラクターを引けるかどうか、どこまで費やすのか、ただの電子データに対して異常なまでの額が振り込まれ経済の車輪が勢いよくグルグルと回される。その渦中に苗田も巻き込まれる所存らしく、今まさしく一回目の【10連】が回された。

「...まぁ最初はね」

どうやら失敗だったらしい様子を見て外面はこれから起こることを予感した。

 

「......ありえん。うっそでしょ?.......はぁ~~~~~萎えた~~~~~」

結果として、苗田は10万という大金を注ぎ込んだ挙句に目的の品を引き当てることができなかった。やめどころを見失い月間の生活費の大半をも投げうっても勝ち取れなかった勝利。この絶望的敗北の過程、そして今もなお他のプレイヤーたちが彼より遥かに少ない課金額で続々と引き当てていく様子をTwitterで確認できることがより一層彼の気分を沈下させた。薄れゆく意識の中で苗田は今夜から何を食べて生きていこうかと考えていた。

 

「アッヒャッハッハ!!!10万?最ッッ高におもしれェ!」

苗田が10万を失った日の夜、洛中の不思議情報網を伝って知ったその話を酒の肴にして酒場で暴れ狂う大男がいた。彼の通り名はバターナイフ。酔った勢いでバターナイフを丸呑みしたが食道や内臓は傷つかず「出てくるときだけ少し痛かった」と言い放った逸話を持つ怪人である。

「なァおめーら!苗田とかいう男、ウチに来る素質は充分あるとは思わねェか?」

怪人バターナイフが呼びかけると酒場にいた酔っ払いどもは口々に「いいだろう!」「真人間を淘汰しろ!」「京都に人間必要なし!」などと叫んだ。

そんな中、その場に居合わせた名前のない怪物が口を開いた。

「バターナイフさぁん!!」

席を立った弾みで手にしていたジョッキを床に落とし割る怪物。それに目もくれずバターナイフの方へ歩いていく。

「んだバケモン」

「そいつ、2回生って言いましたか?」

「オゥ。オメー以来だな、未成年でウチに来るなんてヤツは」

「そうッスね。まぁ、洗礼とかは任せてもらっていいスかね」

「好きにしろぃ」

その言葉を最後にバターナイフは意識を失うと同時にゲロを吐き始めた。

 

ここは祇園迷宮の最深部にある酒場【バターナイフ】。人間を辞めた怪物たちの住処。

突発性東京旅行の序

 首都に吹き降ろす風は同時期の京都より幾分か冷たかった。あるいは人も冷たいのかもしれないと邪推をたくらむのは午後11時の高田馬場駅構内であった。しかし改札を出るや否や待ち受けていたのは恐るべき早大生の喧騒であった。過剰なアルコール摂取によって信号の色も見えなくなったのか赤信号をテクテク歩く人々、覚えてもいない夕食の思い出を口から思い出す人々、いよいよ動かなくなり死体として景観に馴染む人々。どうやら集合場所に指定された空間は地獄であったらしいことを俺は即座に飲み込んだ。

しばらく改札前の通行人の邪魔にならないところにひっそりと身を隠していると、8年前からの付き合いである友人がその類稀な嗅覚を以って彼の姿を見つけ出した。

「ここは地獄か」

「その通りだ。こんなところに長居していると殺される。少し逃げようか」

 

迎えに来た友人について行くと1分としない距離にあったエレベーターに飲み込まれ、吐き出されるとそこは居酒屋であった。賑わい豊かで暖かな光を灯す空間に導かれるようにして歩を進めるとそこには見知った顔が3つ並んでいた。

彼らは中高の部活の同窓であり極めて仲が良い連中である。あまりに仲がよろしいために東京で集まろうという会に当日になって京都から上京する阿呆が現れる次第となった。しかし、この阿保ぶりには流石の彼らも驚きと呆れを隠せないようであり、いざ俺がそこに姿を現わすとひとしきり笑い転げていた。だがその場で最も途方に暮れていたのは他ならぬ自分であったことに間違いない。

 

「何で俺はこんなところにいるんだ」

 

夜は降りて来たばかりである。

まぁまぁとりあえず、と麦色の液体をグラスに注がれるがまま飲み干すと今一度眼前に並ぶかつての同級生たちの顔がはっきりと見えた。

さて彼らとの話を書こう、と思い立ったところで『内輪的会話をどう改変しても、俺の昔話を知らない読者諸賢にとっては冗長で退屈なものになるのではなかろうか』ということに気が付いた。ここまでが面白くなければ猶更論外である。

そこでこの間、中卒無職の後輩に「先輩の昔の話が聞きたいなァ」と言われたことを思い出したので、昔話(を改変したもの)を書く前に俺の旧友たちのプロフィールを書き連ねてはどうだろうかという結論に至った。気が向いたときに書いていこうと思う。

 

例の2話も鋭意執筆中だよ。

『洛中百鬼夜行劇』第1章「名前のある怪物」

洛中。

 

百万遍交差点から南進すること3キロ弱、ただでさえ偏屈京大生の心の如く道幅が狭いため自転車通行に向いていない東大路通りがさらに通行者を苦しめんと険しい勾配をつけだすあたりに八坂神社という日本屈指の神様を祀る不思議物件が居座っている。おおかた意中の神様にフられた冴えない神様が八つ当たりに地上人をいたぶろうとあのメチャクチャな坂道を作ったことから『八坂』などと名付けられたに相違ないが、その名を冠する『八坂通り』という小さな通りが八坂神社よりもう少し南に存在することはあまり知られていない。

人間の失恋エネルギーも時に人を殺めるほど強大なものであるが、神様の失恋エネルギーによって創り出されたであろう八坂通りの坂道もそれはそれは酷い坂道である。しかも東大路通りから八坂通りへ入り込んで進んでいくと大きな通りへ直接抜けることはなく、名前も知らない小路迷宮に囚われる構造になっており、まさしく成就しない恋路と言うにふさわしいねじ曲がりっぷりなのだ。その縦横無尽に捻くれた八坂通りにある高級学生寮には1人の、いや、1匹の怪物が住んでいる。いわば八坂ダンジョンの主とも形容できる彼の実名はそこそこ広く知られているのだが、あえてその名前を口に出す者は多くない。彼をよく知る者は彼を讃えて、卑下して、糾弾して、笑って、【名前のある怪物】と呼ぶ。

 

怪物は京都大学医学部医学科の2回生である。学歴も日本最高峰の怪物であるが、その学歴は素直に称賛されるより彼の没落っぷりの引き合いに出されることの方が遥かに多い。近年のSNS文化において叩かれやすい高学歴というスペックはネットにおける怪物の炎上劇に一役買うこともある。これ以上とない大学、学部学科に現役で入学を果たした彼にどのような失敗があり得ようかと栄光の人生を夢想する人がいるかもしれない。事実怪物本人も下水の如き高校生活から脱却し、バラ色のキャンパスライフから始まる黄金の階段を駆け上ることを夢見ていた。しかし現実は凄惨冷酷なもので、地獄の綱渡り生活を続ける彼の前には黄金の階段も蜘蛛の糸も現れることはなく、ギリギリを攻めて生きる信条ゆえ這い上がるどころかしばしば転落するだけの難儀な1年間を過ごした。とはいえそれは不幸な事故などではなく運命的に不可避なことであり、怪物の怪物たる所以であったのだ。

 

「!?!?!?」

目が覚めてみると外の明かりが昼のそれであることに気づき、慌てて時計を見るとやはり12時30分を指している。

「ウッソだろお前...1限ジャージャーしちまった、ありえねぇ、向いてなさすぎる」

咄嗟につける限りの悪態をついた頃には思考がまとまって自分の状況を的確に理解し、ただでさえ化け物と形容される自らの容姿を苦悶に歪めていた。絶起した旨をTwitterに投稿し憐憫と同情と嘲笑の「いいね」によって絶望の傷口を塞ぎながら、怪物は月曜日の出席必要科目は1限だけなのでもう大学に行く用事は無くなったと前向きに捉え、再び布団へ潜った。

 

大学、とりわけ京都大学には休んでいい講義と休んではならない講義が明確に分離されており、つまるところ彼は持ち前の爆睡能力を存分に発揮することに夢中になるあまり休んではならない講義の時間に起きられなかったのである。これが所謂『絶起』である。一日が絶望から始まるというのは大学生を鬱病にするには十分すぎる理由であり、沈んだ気持ちになると大学へ行くモチベーションが逓減し、起きても眠かったら「もう少しだけ寝よう」「行かなくてもいいや」などと自分に甘くなり絶起率が上がる。負のポンコツ相乗サイクリングである。怪物は1回生の頃、このサイクルを回し続けた結果として出席が必要な科目の単位の多くを供物として捧げて来た。多少の落単は意に介さない怪物も留年の危機とあっては流石に焦るようで、2回生になった今年こそ、数えきれない汚名のうち少なくとも単位取得において汚名返上を誓った。しかし、誓ったことを成就できる人間はそもそもそれを誓わないといけないような危機的状況に陥らないものである。人はそう簡単には変わらない上、向上することは殊更稀有である。すなわち、一回生の自分の成績を凌駕し、完全に正規コースから逸れていった人生を軌道修正しようなどと目論むのは愚の骨頂なのだ。

 

怪物が起きると日が暮れていた。あまりの時間経過にこれ以上沈みようも無いと思われた気分をさらに沈めて、とりあえずは空いた腹を満たさんと外出することを決意した。

「デブラ食うか...」

『デブラ』とは『デブラーメン』の略語である。体積の割にろくな栄養価を持たないヤサイとぶっきらぼうに乗せられた肉塊、さらに醜悪な臭いの元となるニンニクをまとった、人間には食べられないと形容される量の麺。それが怪物の主食であった。

洛中で評判のデブラを食べるためには一乗寺まで行かなければならないのだが、怪物の住処からは自転車でも到底気軽に移動できる距離ではない。彼は諸事情で自分の自転車を失っており、もし一乗寺まで行きたいのであれば人間なら公共交通機関に頼る。まぁそれも人間なら、という仮定の下での話であり怪物は1時間や2時間かかろうとも平気で歩く。彼に言わせてみれば「歩くの好きだから」とのことである。意味が分からない。

歩行愛好者たる怪物は深夜になると本能に任せた見事な四足歩行を披露するのだが、陰湿民間人や腐れ大学生、迷惑観光客や動物園の檻から脱走した修学旅行生で溢れかえるゴールデンタイムの京都市内でそんなことをしてはいよいよ桜の代紋のお世話になるので仕方なく2歳の頃に覚えた二足歩行で北上していた。

四足歩行の方が慣れている怪物は二足歩行時には猫背になってしまう。そのため1.8メートルもある体は通常時は少し低く見えており、『覚醒モード』と呼ばれる背筋を伸ばした状態になると彼の想像以上の巨躯に友人たちも恐縮する。また彼はデカイだけでなく無意識のうちに周囲を威圧する能力を持つがそれは歩行時も例外でなく「フー、フー」と口から不気味な息漏れを発しあたかも「半径5メートル以内は俺の縄張りだ」と主張しているかのようであった。道を行く罪なき通行人もわざわざ髪の毛ボサボサの猫背でフーフー言ってる浮浪者というトラップエリアに入り込んで命の危険を冒す必要もないと心得て回避ルートを歩いていた。そして、何分経ったか考えるのも億劫になるほどの時間を費やしてデブラ屋に到達した怪物はそこで致命的な事実に気が付いた。

「財布ねぇ.......」

打ちひしがれた怪物に救いはない。Twitterに悲劇を投稿するくらいしかやることがなくなってしまった。そんな様子を今日も周りの人間たちは観測しては嗤い、憐み、何でそんなことになるんだと不思議がり、明日を生きる糧にする。

 

荒んだ怪物は帰路で大いに暴れた。音楽を垂れ流しながら周囲を威圧し、違法駐輪された自転車群でドミノ倒し遊びに興じ、鴨川河川敷で自身の絶望を叫んで秘め事に勤しむ洛中のカップルを雲散霧消させ、弾みで鴨川に落ちて、メガネを失くして、巣に帰るころには全身ビショビショのグシャグシャであった。

「完全に生きるのに向いていない」

一人呟き3日ぶりのシャワーを浴びる。お湯があまりに冷たく感じたのは気のせいではなくボイラーの不調であったそうだ。その瞬間にはどうでも良くなっていたので気にしていなかったが後で業者から電話が掛かってきた。だが怪物をさらに追い詰めるかの如くここぞと押し寄せる不幸に対して彼は毅然とした態度を取った。

 

「まぁ寝て忘れるか」

 

水風呂で侵略してきた風邪ウイルスを人間のソレとは一線を画する強靭な免疫が撲滅する傍ら、怪物は未知の病原菌で満たされているであろう布団に身をくるんだ。

 

長い割に何一つ生産的なことをしていない、そんな一日が今日も終わりを告げる。

まえがき

「とまれかうまれ、とく破りてむ」とは、今や比叡山の片隅に埋まってしまい誰にも見向きされなくなった日本最古の道化師、紀貫之公の言葉である。

日本文学史にその痴態を明々白々遺した奇行文(または紀行文)であるところの『土佐日記』は、執筆するうちに作者が己の狂気に気がつき「書くのはやめだ。事情はどうあれ、こんなものは早く破り捨ててしまおう」と冷静さを取り戻した一文で幕を閉じる。

 

この一文をブログのタイトルに選んだのは、紛れもなく、ここに連ねていく予定である物語がビリビリに破かれて然るべき荒唐無稽な代物であるからだ。

 

ここまで警告を重ねてもなお、読まんとする阿呆者は残飯入れやごみ処理場、或いは地獄温泉の匂いを堪能する覚悟を自分が決めたのかどうかしっかり問い直した上で読んでいただきたい。

 

【次回予告】

『洛中百鬼夜行劇』第1章「名前のある怪物」