とまれかうまれ、とく破りてむ!

行き場を失った物語の墓場

突発性東京旅行の序

 首都に吹き降ろす風は同時期の京都より幾分か冷たかった。あるいは人も冷たいのかもしれないと邪推をたくらむのは午後11時の高田馬場駅構内であった。しかし改札を出るや否や待ち受けていたのは恐るべき早大生の喧騒であった。過剰なアルコール摂取によって信号の色も見えなくなったのか赤信号をテクテク歩く人々、覚えてもいない夕食の思い出を口から思い出す人々、いよいよ動かなくなり死体として景観に馴染む人々。どうやら集合場所に指定された空間は地獄であったらしいことを俺は即座に飲み込んだ。

しばらく改札前の通行人の邪魔にならないところにひっそりと身を隠していると、8年前からの付き合いである友人がその類稀な嗅覚を以って彼の姿を見つけ出した。

「ここは地獄か」

「その通りだ。こんなところに長居していると殺される。少し逃げようか」

 

迎えに来た友人について行くと1分としない距離にあったエレベーターに飲み込まれ、吐き出されるとそこは居酒屋であった。賑わい豊かで暖かな光を灯す空間に導かれるようにして歩を進めるとそこには見知った顔が3つ並んでいた。

彼らは中高の部活の同窓であり極めて仲が良い連中である。あまりに仲がよろしいために東京で集まろうという会に当日になって京都から上京する阿呆が現れる次第となった。しかし、この阿保ぶりには流石の彼らも驚きと呆れを隠せないようであり、いざ俺がそこに姿を現わすとひとしきり笑い転げていた。だがその場で最も途方に暮れていたのは他ならぬ自分であったことに間違いない。

 

「何で俺はこんなところにいるんだ」

 

夜は降りて来たばかりである。

まぁまぁとりあえず、と麦色の液体をグラスに注がれるがまま飲み干すと今一度眼前に並ぶかつての同級生たちの顔がはっきりと見えた。

さて彼らとの話を書こう、と思い立ったところで『内輪的会話をどう改変しても、俺の昔話を知らない読者諸賢にとっては冗長で退屈なものになるのではなかろうか』ということに気が付いた。ここまでが面白くなければ猶更論外である。

そこでこの間、中卒無職の後輩に「先輩の昔の話が聞きたいなァ」と言われたことを思い出したので、昔話(を改変したもの)を書く前に俺の旧友たちのプロフィールを書き連ねてはどうだろうかという結論に至った。気が向いたときに書いていこうと思う。

 

例の2話も鋭意執筆中だよ。

『野獣1週間』第1章「名前のある怪物」

洛中。

 

百万遍交差点から南進すること3キロ弱、ただでさえ偏屈京大生の心の如く道幅が狭いため自転車通行に向いていない東大路通りがさらに通行者を苦しめんと険しい勾配をつけだすあたりに八坂神社という日本屈指の神様を祀る不思議物件が居座っている。おおかた意中の神様にフられた冴えない神様が八つ当たりに地上人をいたぶろうとあのメチャクチャな坂道を作ったことから『八坂』などと名付けられたに相違ないが、その名を冠する『八坂通り』という小さな通りが八坂神社よりもう少し南に存在することはあまり知られていない。

人間の失恋エネルギーも時に人を殺めるほど強大なものであるが、神様の失恋エネルギーによって創り出されたであろう八坂通りの坂道もそれはそれは酷い坂道である。しかも東大路通りから八坂通りへ入り込んで進んでいくと大きな通りへ直接抜けることはなく、名前も知らない小路迷宮に囚われる構造になっており、まさしく成就しない恋路と言うにふさわしいねじ曲がりっぷりなのだ。その縦横無尽に捻くれた八坂通りにある高級学生寮には1人の、いや、1匹の怪物が住んでいる。いわば八坂ダンジョンの主とも形容できる彼の実名はそこそこ広く知られているのだが、あえてその名前を口に出す者は多くない。彼をよく知る者は彼を讃えて、卑下して、糾弾して、笑って、【名前のある怪物】と呼ぶ。

 

怪物は京都大学医学部医学科の2回生である。学歴も日本最高峰の怪物であるが、その学歴は素直に称賛されるより彼の没落っぷりの引き合いに出されることの方が遥かに多い。近年のSNS文化において叩かれやすい高学歴というスペックはネットにおける怪物の炎上劇に一役買うこともある。これ以上とない大学、学部学科に現役で入学を果たした彼にどのような失敗があり得ようかと栄光の人生を夢想する人がいるかもしれない。事実怪物本人も下水の如き高校生活から脱却し、バラ色のキャンパスライフから始まる黄金の階段を駆け上ることを夢見ていた。しかし現実は凄惨冷酷なもので、地獄の綱渡り生活を続ける彼の前には黄金の階段も蜘蛛の糸も現れることはなく、ギリギリを攻めて生きる信条ゆえ這い上がるどころかしばしば転落するだけの難儀な1年間を過ごした。とはいえそれは不幸な事故などではなく運命的に不可避なことであり、怪物の怪物たる所以であったのだ。

 

「!?!?!?」

目が覚めてみると外の明かりが昼のそれであることに気づき、慌てて時計を見るとやはり12時30分を指している。

「ウッソだろお前...1限ジャージャーしちまった、ありえねぇ、向いてなさすぎる」

咄嗟につける限りの悪態をついた頃には思考がまとまって自分の状況を的確に理解し、ただでさえ化け物と形容される自らの容姿を苦悶に歪めていた。絶起した旨をTwitterに投稿し憐憫と同情と嘲笑の「いいね」によって絶望の傷口を塞ぎながら、怪物は月曜日の出席必要科目は1限だけなのでもう大学に行く用事は無くなったと前向きに捉え、再び布団へ潜った。

 

大学、とりわけ京都大学には休んでいい講義と休んではならない講義が明確に分離されており、つまるところ彼は持ち前の爆睡能力を存分に発揮することに夢中になるあまり休んではならない講義の時間に起きられなかったのである。これが所謂『絶起』である。一日が絶望から始まるというのは大学生を鬱病にするには十分すぎる理由であり、沈んだ気持ちになると大学へ行くモチベーションが逓減し、起きても眠かったら「もう少しだけ寝よう」「行かなくてもいいや」などと自分に甘くなり絶起率が上がる。負のポンコツ相乗サイクリングである。怪物は1回生の頃、このサイクルを回し続けた結果として出席が必要な科目の単位の多くを供物として捧げて来た。多少の落単は意に介さない怪物も留年の危機とあっては流石に焦るようで、2回生になった今年こそ、数えきれない汚名のうち少なくとも単位取得において汚名返上を誓った。しかし、誓ったことを成就できる人間はそもそもそれを誓わないといけないような危機的状況に陥らないものである。人はそう簡単には変わらない上、向上することは殊更稀有である。すなわち、一回生の自分の成績を凌駕し、完全に正規コースから逸れていった人生を軌道修正しようなどと目論むのは愚の骨頂なのだ。

 

怪物が起きると日が暮れていた。あまりの時間経過にこれ以上沈みようも無いと思われた気分をさらに沈めて、とりあえずは空いた腹を満たさんと外出することを決意した。

「デブラ食うか...」

『デブラ』とは『デブラーメン』の略語である。体積の割にろくな栄養価を持たないヤサイとぶっきらぼうに乗せられた肉塊、さらに醜悪な臭いの元となるニンニクをまとった、人間には食べられないと形容される量の麺。それが怪物の主食であった。

洛中で評判のデブラを食べるためには一乗寺まで行かなければならないのだが、怪物の住処からは自転車でも到底気軽に移動できる距離ではない。彼は諸事情で自分の自転車を失っており、もし一乗寺まで行きたいのであれば人間なら公共交通機関に頼る。まぁそれも人間なら、という仮定の下での話であり怪物は1時間や2時間かかろうとも平気で歩く。彼に言わせてみれば「歩くの好きだから」とのことである。意味が分からない。

歩行愛好者たる怪物は深夜になると本能に任せた見事な四足歩行を披露するのだが、陰湿民間人や腐れ大学生、迷惑観光客や動物園の檻から脱走した修学旅行生で溢れかえるゴールデンタイムの京都市内でそんなことをしてはいよいよ桜の代紋のお世話になるので仕方なく2歳の頃に覚えた二足歩行で北上していた。

四足歩行の方が慣れている怪物は二足歩行時には猫背になってしまう。そのため1.8メートルもある体は通常時は少し低く見えており、『覚醒モード』と呼ばれる背筋を伸ばした状態になると彼の想像以上の巨躯に友人たちも恐縮する。また彼はデカイだけでなく無意識のうちに周囲を威圧する能力を持つがそれは歩行時も例外でなく「フー、フー」と口から不気味な息漏れを発しあたかも「半径5メートル以内は俺の縄張りだ」と主張しているかのようであった。道を行く罪なき通行人もわざわざ髪の毛ボサボサの猫背でフーフー言ってる浮浪者というトラップエリアに入り込んで命の危険を冒す必要もないと心得て回避ルートを歩いていた。そして、何分経ったか考えるのも億劫になるほどの時間を費やしてデブラ屋に到達した怪物はそこで致命的な事実に気が付いた。

「財布ねぇ.......」

打ちひしがれた怪物に救いはない。Twitterに悲劇を投稿するくらいしかやることがなくなってしまった。そんな様子を今日も周りの人間たちは観測しては嗤い、憐み、何でそんなことになるんだと不思議がり、明日を生きる糧にする。

 

荒んだ怪物は帰路で大いに暴れた。音楽を垂れ流しながら周囲を威圧し、違法駐輪された自転車群でドミノ倒し遊びに興じ、鴨川河川敷で自身の絶望を叫んで秘め事に勤しむ洛中のカップルを雲散霧消させ、弾みで鴨川に落ちて、メガネを失くして、巣に帰るころには全身ビショビショのグシャグシャであった。

「完全に生きるのに向いていない」

一人呟き3日ぶりのシャワーを浴びる。お湯があまりに冷たく感じたのは気のせいではなくボイラーの不調であったそうだ。その瞬間にはどうでも良くなっていたので気にしていなかったが後で業者から電話が掛かってきた。だが怪物をさらに追い詰めるかの如くここぞと押し寄せる不幸に対して彼は毅然とした態度を取った。

 

「まぁ寝て忘れるか」

 

水風呂で侵略してきた風邪ウイルスを人間のソレとは一線を画する強靭な免疫が撲滅する傍ら、怪物は未知の病原菌で満たされているであろう布団に身をくるんだ。

 

長い割に何一つ生産的なことをしていない、そんな一日が今日も終わりを告げる。

まえがき

「とまれかうまれ、とく破りてむ」とは、今や比叡山の片隅に埋まってしまい誰にも見向きされなくなった日本最古の道化師、紀貫之公の言葉である。

日本文学史にその痴態を明々白々遺した奇行文(または紀行文)であるところの『土佐日記』は、執筆するうちに作者が己の狂気に気がつき「書くのはやめだ。事情はどうあれ、こんなものは早く破り捨ててしまおう」と冷静さを取り戻した一文で幕を閉じる。


この一文をブログのタイトルに選んだのは、紛れもなく、ここに連ねていく予定である物語がビリビリに破かれて然るべき荒唐無稽な代物であるからだ。


ここまで警告を重ねてもなお、読まんとする阿呆者は残飯入れやごみ処理場、或いは地獄温泉の匂いを堪能する覚悟を自分が決めたのかどうかしっかり問い直した上で読んでいただきたい。


【次回予告】

『野獣1週間』第1章「名前のある怪物」