とまれかうまれ、とく破りてむ!

行き場を失った物語の墓場

第2章「泥になった男」

京都市内に存在するほとんどの交差点の名前は【三条河原町】のようにそれを為す縦横の通りの名前に由来する。しかし中には、ただでさえ日本語が通じないがためにごった返している迷惑観光客たちをさらに混乱させようと規則に従わない名を冠した捻くれ交差点たちが存在する。

 

捻くれた生徒を輩出することに滅法秀でている京都大学はそのメインキャンパスを【百万遍】というみょうちくりんな名前の交差点付近に構える。交差点の名前が捻くれていればそこを往来する人間も捻くれるのも当然の理というわけだが、とりわけ夜になると月の狂気とアルコールの副作用で日本語が通じなくなっている捻くれ京大生がゴロゴロ転がっており危険である。触らぬ神に祟りなし、百万遍近寄るべからずである。

 

ろくなやつがいない百万遍だが、そこから少し南へ進んだところに苗田(ナエタ)という男が住んでいる。もう名前からとことん萎えているのだが彼はかの名前のない怪物にも引けを取らない壮絶な人生を送ってきたことでそこそこ知られている。もはやこの世に大した未練もなさそうに今日も今日とてアニメのかわいらしい女の子が描かれたバッグを肩に下げ、百万遍と自宅の中間地点に位置する学生食堂【ルネ】で一人イヤホンをつけアニメを見ながら昼食を取っていた。そこから発される負のオーラは並大抵のものではなく、混雑期であろうとも彼の周囲10席ほどには人払いの結界が張られていた。

 

「お、苗田~」

そう声を掛けたのは苗田と同じ学部学科の同級生であり、室内にも関わらず帽子を被る奇抜なファッションをしている外面(ソトヅラ)という男だ。しかし外面が数度呼びかけても苗田はアニメに夢中で気が付かない。いよいよ呆れた外面がその肩をポンと叩くと苗田は痴漢にでもあったかのようにビクっと可愛くもない反応を見せたかと思えば黒服の顔を見るや否や「なんだお前か」と呟きそのままイヤホンをつけなおした。こんな態度を取られては流石の外面も「なんだこいつは」と思ったらしく、それを口にすることはなかったがTwitterに事のあらましを文才豊かに投稿した。

さて、この二人は京都大学工学部物理工学科在籍の2回生であるが物理工学部の割に物理学基礎論Aの単位を1年半経っても取っていない体たらくであり学科の恥さらしである。そもそも苗田に至っては入学2ヵ月も経たないころに講義中に何を思ったか服を脱ぎだしさらには18禁ゲームの18禁要素のシーンをスピーカーで垂れ流しながら授業を受けるという前代未聞の奇行に走り案の定通報され教務課から厳重注意を受けたので学科はおろか大学の恥さらしなのだが、当の本人は京都の瘴気に中てられて思考の余地が狭められているせいもありそんなこと粉微塵も気にかけておらず毎日のように大学食堂を威風堂々と闊歩していた。そんなことだから当然学科内にろくなコネクションがない苗田に対して、外面は類稀な八方美人式コミュニケーション術を以てして多方面とつながりを持っており、上手いこと交友関係を保つ傍ら情報収集も怠らずそれを苗田や他の身寄りのない学科の友人に渡してあげたりもしていた。このように極めて良い性格をしている彼だがそれだけには留まらず天は彼に【ツイートセンス】というさらなる才能を与えた。これは文才の一種であるがTwitterに依存しがちな大学生にとっては極めて有用なものであり【いいね】という平成の承認欲求を効率的に満たせられる。そして彼もまた京都の瘴気に中てられて心の余裕が狭められようとしているときにはこの才能を駆使し心の平静と安寧を取り戻すのだ。

 

「よう」

外面が着席して10分は経ったかという頃、ようやくアニメを見終わったらしい苗田がイヤホンを外して突然話しかけてきて外面は面食らった。

「いきなり話しかけてくるなよ、びっくりするでしょ」

「お前もいきなり肩叩いてきただろ」

外面はそれとこれとは少し違うだろうと思ったが自分の不服と苗田に納得してもらえるような説明をする労力とを比較した結果、がんばって反論する必要はないという結論を導き出した。外国語の単位もろくに揃えられない上に日本語までもが通じなくなりつつある苗田に対してむやみに会話を試みるのは得策ではないということを彼は経験から理解していた。

「...それで、今期のテストはどんな感じ?」

「お前から資料をもらったやつは何とかなる。もらえてないやつは、何も情報がないから、無理」

「そっかぁ」

大学生にとって同学科の友人というのは想像よりも重要なもので、特にろくに大学に出向かない反社会的生徒にとっては友人の助けのあるなしはそのまま単位の有無に直結する。この苗田は怪物同様社会に向いていない生き物である上に学科の友達も目玉の数くらいしかいないため、当然ろくな単位も取れない状況が続いておりいよいよ留年が避けられないものになりつつあった。本人の弁は「プラス1年は仕方がない」とのことだが周囲の人間は彼がプラス1年で卒業できるとは全く思っていない。

「テストもだけど、今から引くガチャも多分やばいなぁ」

「え、今から引くの?楽しみだなぁ」

苗田はここのところソーシャルゲームにも入れ込んでいた。そして本日、とあるイベントのガチャが始まるとのこと。目星となるキャラクターを引けるかどうか、どこまで費やすのか、ただの電子データに対して異常なまでの額が振り込まれ経済の車輪が勢いよくグルグルと回される。その渦中に苗田も巻き込まれる所存らしく、今まさしく一回目の【10連】が回された。

「...まぁ最初はね」

どうやら失敗だったらしい様子を見て外面はこれから起こることを予感した。

 

「......ありえん。うっそでしょ?.......はぁ~~~~~萎えた~~~~~」

結果として、苗田は10万という大金を注ぎ込んだ挙句に目的の品を引き当てることができなかった。やめどころを見失い月間の生活費の大半をも投げうっても勝ち取れなかった勝利。この絶望的敗北の過程、そして今もなお他のプレイヤーたちが彼より遥かに少ない課金額で続々と引き当てていく様子をTwitterで確認できることがより一層彼の気分を沈下させた。薄れゆく意識の中で苗田は今夜から何を食べて生きていこうかと考えていた。

 

「アッヒャッハッハ!!!10万?最ッッ高におもしれェ!」

苗田が10万を失った日の夜、洛中の不思議情報網を伝って知ったその話を酒の肴にして酒場で暴れ狂う大男がいた。彼の通り名はバターナイフ。酔った勢いでバターナイフを丸呑みしたが食道や内臓は傷つかず「出てくるときだけ少し痛かった」と言い放った逸話を持つ怪人である。

「なァおめーら!苗田とかいう男、ウチに来る素質は充分あるとは思わねェか?」

怪人バターナイフが呼びかけると酒場にいた酔っ払いどもは口々に「いいだろう!」「真人間を淘汰しろ!」「京都に人間必要なし!」などと叫んだ。

そんな中、その場に居合わせた名前のない怪物が口を開いた。

「バターナイフさぁん!!」

席を立った弾みで手にしていたジョッキを床に落とし割る怪物。それに目もくれずバターナイフの方へ歩いていく。

「んだバケモン」

「そいつ、2回生って言いましたか?」

「オゥ。オメー以来だな、未成年でウチに来るなんてヤツは」

「そうッスね。まぁ、洗礼とかは任せてもらっていいスかね」

「好きにしろぃ」

その言葉を最後にバターナイフは意識を失うと同時にゲロを吐き始めた。

 

ここは祇園迷宮の最深部にある酒場【バターナイフ】。人間を辞めた怪物たちの住処。