とまれかうまれ、とく破りてむ!

行き場を失った物語の墓場

『洛中百鬼夜行劇』第4章「跳梁跋扈シャトルラン」

洛中。

 

 祇園四条の最深部に【バターナイフ】という極めて怪しげなバーがある。実際のところそこはアヤシイなんて生半可なものではなく何の心得もなく入り込んでしまったら最後、生きて翌日の朝日を拝めることはそうそうないといわれる此の世と地獄の境界線である。それでは一体何者がその魔境で晩酌を飲み交わしているのか。店長のバターナイフ氏に勧誘された者、洛中で悪名高きならず者、俗世に居場所を失った者...いくらかのパターンがあるが彼らはみな【人間を辞めた】という共通点を持っている。獄卒とよろしくやっていくには此の世に未練があってはならない。そもそも人間を辞めている彼らにとって人間は淘汰すべき対象であり、両者がぶつかり合って平穏無事に済むはずがないのだ。

 

 その日、苗田は名前のある怪物から呼び出されていた。彼らは京都大学の同級生以前に高校の同窓であり、高校時代に深いつながりはなかったものの大学入学以降に多少のコンタクトがあったので双方にとって数少ない大学の知り合いという関係にあった。さて、呼び出された苗田には用件も伝えられなかったが特にこれといった用事もなく部屋で電気もつけず年齢制限付きゲームをしているだけだったので誘いに従い集合場所に出向くことにした。

「っつっても四条か、遠いなぁ」

ボヤきながら自転車を走らせる。京都市内のバス代は基本的に任意の区間で一回の乗車あたり230円であるがそれは苗田にとって重大な出資であった。自宅から四条界隈に行くためだけにそんな身銭は切れないとして彼は鴨川西岸の砂道を壊れかけの自転車で駆け抜け四条大橋の橋脚の側へと違法駐輪した。

 自転車を降り橋を登ってすぐ、合流場所の四条河原町交差点南東に辿り着く。夜の帳が降りきった午後8時、待ち合わせ時刻の7時半はとっくに過ぎていたが案の定怪物は現れていなかった。苗田は風流のフの字の欠片もない不格好なアニメTシャツで周囲に威圧感を与えながら中秋の名月を見上げることもなくスマホをいじって約束の男を待っていた。10分後、メタルバンドのギタリストを意識したかのような爆発的寝癖と命の危険をも感じさせる腐乱臭を携えた浮浪者がどこからともなく現れ、京都の要所で人が溢れかえっていたはずの空間一帯から人間が雲散霧消し名月も雲隠れした。

「.......来たか」

「すまねェ、寝てたわ」

呼び出しから予定時刻まで数時間もなかったというのに性懲りもなく惰眠を貪っているというのは通常であれば自身に対する愚弄だと糾弾して然るべき無礼であるが、相手が相手である。苗田は特に責め立てることもせず「そう」と受け入れた。

「それで、何の用なんや」

「ついてきてくれ。会わせたい人がいる。悪い話じゃァない、今晩はその人の奢りだ」

「やったぁ」

苗田は消耗が激しく残り少ない言語野で最後の【奢り】の二文字だけを受容し同行を決定した。いつの時代も無銭飲食とは有り難い話だ。とりわけ、つい先日ソーシャルゲームに一カ月分の生活費を投資して極貧生活を強いられていた苗田にとっては渡りに船であった。

 

 怪物について歩く道中も苗田はスマホをいじり続けていたので一体どこを歩いてきたのか分からなかったが気が付くとそこは此の世のものとは思えない不思議な雰囲気を湛えた場所だった。

「ここは?」

「聞いたことくらいあっだろ?【バターナイフ】だ」

「.......あぁ、そういうことか」

苗田は言語野こそ破壊されていたが腐っても京大生、状況理解能力はその辺の人間より長けていた。彼は自分が【バターナイフ】に勧誘されているということを、それが【人間界との離別】という有名事実とともに把握した。

「まぁ、未練もクソもないわ。メシ奢ってくれるなら何でもいいよ」

「普通抵抗するもんなんだけどな、さすが適性バッチリだわ」

そう言うと怪物は重々しい扉を蹴破った。

 

 それから何が起こったか、一切の記憶がない。目を覚ますと苗田は眩しい朝日に照らされてなぜか鴨川デルタに転がっていた。

「えぇ......」

正式に人間を辞めて初めて迎えた朝の状況は到底理解できるものではなかった。自分が身に着けているのはパンツと濡れた靴下だけであり靴すらも見当たらない。周りを見ると自分の他にも同様に転がっているバケモノたちがたくさんいた。恐らく【バターナイフ】所属の奴らだろうと推察できるがその中に名前のある怪物の顔はなかった。スマホすらも手元になく今が何時かも分からないし自宅の鍵もないので帰ることすら叶わず途方に暮れているとデルタ西側の方から声がした。

「オウ、起きたか」

知らない声だ。一体何者かと身を起こして様子を見に行くと川の中で飛び石に引っかかる形でもたれている大男が声の主であった。その隣の飛び石には名前のある怪物が引っかかって寝ている。溺死か凍死しないのかと思ったがソレが彼らなりの睡眠スタイルなのだろうとその点に関しては追及しないことにした。

「あの、あなたは?」

「バターナイフだ。昨日はオマエ、スゴかったぞ。まぁ、後は鳥羽が面倒を......ウッッッ!!!」

バターナイフを自称した大男は話し始めたかと思ったところで嘔吐し意識を失い、引っかかっていた飛び石からズレて鴨川の水流に流されていった。彼は流されながら寝言で「厭離穢土!!」と叫んでいた。

「は...何だアレは...」

唖然とする他ない苗田は再び何の情報も得られない閉塞に戻り虚無感に襲われながらジワりジワりと高度を上げる太陽を見つめていた。周りのバケモノたちがときたま寝ゲロを散らかすのを眺めながら一体これからどうなるんだと絶望しているとデルタの北側から一人の青年が歩いてきた。

「うっわ、ヤベぇな今日も。...大丈夫か?」

声を掛けてきた青年は服を着ていれば靴も履いていた。明らかに人間だ。

「お前は誰やねん。これは何なんだ、俺はどうなる」

苗田はぶっきらぼうに疑問と心配をぶつける。

「鳥羽だ。【バターナイフ】所属ではないがちょっと繋がりがあってな、アンタへの多少の説明責任を代理する」

そう言うと鳥羽という男はTシャツとスマホ、そして財布を投げる。

「お前のだ。靴とズボンは四条の店に残ってなかったから残念だが回収できてない。たぶん川に投げ捨てたか投げ捨てられたんだろうな。聞いた話だがお前は祇園の方でしこたま飲まされた後にバケモノどもとここに来て暴れ狂ったそうだ」

穴の空いた記憶を補完される。本当に何一つ心当たりがないが今まさにここにいることが彼の発言の信憑性を高めていた。

「貴重品は助かるけど...。いつもこんなんなのか?」

「そうだな。【バターナイフ】ってのはそういうもんだ。ところで【シャトルラン】もやったって聞いたが、お前、足を怪我してないか?」

足?と苗田は疑問が浮かぶが意識を自らの両足に集中させると途端に痛みが走った。

「ッッ!?!?」

慌てて靴下を脱ぐと足の裏は血まみれであった。異常事態の連続でアドレナリンが出ていたせいか全く気付かなかったが擦り傷とは言えないようなそこそこ深いケガを負っていた。

「やっぱそうなってるか...。まぁ、俺にできるのはここまでだ。あとは病院行くなり自分で何とかしてくれ。じゃぁな」

最後にネガティブな新事実を告げて鳥羽は去っていった。新たに足の痛みを備え、靴もないこの状態からどうしたものかと思案したがここで苗田の頭に妙案が降り立った。

「郷に入っては郷に従え、か」

かくして彼は周りのバケモノたちと同様今しばらく寝続けることにした。起きたら傷も塞がってるだろう。

 

 再び目を覚ますとどこかの室内であった。起き上がると横に名前のある怪物がいた。

「おー、生きてたか。オマエ、足がズタボロだったから川に流して祇園まで運んだんだが意外と耐えるもんだな」

怪物は開口一番ヘラヘラ笑いながら空恐ろしいことを言ってのけた。言われてみると寒気がする。まぁ風邪なんていつか治るしどうでもいいが。

「てことはここは【バターナイフ】か」

「おゥ。休憩室に転がして足のケガには酒ぶっかけたりして処置したから多分もう歩けっぞ」

足の方を見遣ると包帯でグルグル巻きにされていた。確かに痛みは引いているし大丈夫なんだろう。ほんまか。

「昨日、何があったか聞かせてほしい...もう意味が分からん」

「あァ、そうだろうな。大体は鳥羽から聞いただろうが、祇園では適当に飲み散らかして鴨川行ってからはお前の歓迎会ってことで色々派手にやったぞ。お前もノリノリだったし【シャトルラン】っつって裸足でデルタを東西またいで走るやつとかお前が一番早かった。そのせいで足は逝ったみたいだがな」

「ありえん」

率直な感想を述べる。しかし事実は変わらない。もともと人間界に未練などなかったが正式にソコを離れるとはこういうことなのかと改めて苗田は噛みしめた。とはいったものの毎日虚無に時間を費やし鬱病鬱病を重ねる日々よりは遥かに退屈でない非日常を享受できたという見方もできる。いずれこういったイベントにも体が慣れていくことを考えたら無銭飲食も踏まえると悪くはないのではないか、と苗田は前向きに捉えることにした。そうでもしないと到底やっていられないからである。

 

 かくして【洗礼】を生き抜いた苗田は【バターナイフ】へ入会し人権と引き換えに毎晩無銭飲食を貪る権利を得た。前者をとうに失っていた彼にとって今回の出来事は足のケガを投資したハイリターン案件となった。

「同期が2人も入っちゃうなんてなぁ...」

鳥羽は苗田に貴重品を返した後、百万遍のカフェに外面を呼び出し今回の件について話していた。

「確かに苗田は人間辞めつつあったけど、まさかバターナイフ入りするなんてね」

苗田と同じ学科で交流のある外面も今回の事件には驚きを隠せないようだった。

「苗田は俺を知らなかったようだけどあいつも俺らの高校同期。これ以上バケモンと関わり合いになるのは御免なんだが」

鳥羽は名前のある怪物つながりでバターナイフからしつこく勧誘されていることに辟易していた手前、さらに接点となり得る存在が浮上したことを憂慮していた。

「まぁまぁ、仲良くやっていこうよ」

外面は知人の立場がどうなろうと角を立てずに済ませたい方針らしい。鳥羽は、そんなんじゃいずれ割を食うぞと指摘しようとしたが外面のポリシーを尊重してやめておいた。

「...いずれバターナイフは戦争を起こす。そうなったら俺は人間サイドで逃げるがお前はどうだ、外面」

「んー、俺もだいたい鳥羽と同じだよ。でもどっちに付くとかは苦手だしできる限り怪物や苗田にも協力したい」

「そうか」

京都の人類が大きく二手に分かれ、火花を散らして数十年。日々大小さまざまな摩擦が起こっているが、ここのところ段々とその規模が拡大していることを誰もがその身に感じつつあった。酔生夢死を謳い牧歌的生活を望む人類と、そうはさせるかと面倒ごとを引き起こすバケモノたち。彼らの全面衝突の日は刻刻と近づいていた。